西京子の備忘録

朝ご飯の内容から夕ご飯の内容まで、徒然なるままに

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Standesherrliche Häuser(下)

○Graf

・Bentheim-Tecklenburg
HSH Moritz-Casimir Fürst zu Bentheim-Tecklenburg (1967-)
1817年プロイセン王よりFürstに叙される

・Bentheim und Steinfurt
HSH Christian Fürst zu Bentheim und Steinfurt (1961-)
1817年プロイセン王よりFürstに叙される

・Bentinck
HlllH Timothy Graf von Bentinck und Waldeck-Limpurg (1997-)
1845年Erlauchtに叙される
英国貴族として12th Earl of Portland

・Castell-Castell
HSH Albrecht Fürst zu Castell-Castell (1945-)
1901年バイエルン王よりFürstに叙される

・Castell-Rüdenhausen
HSH Johann-Friedrich Fürst zu Castell-Rüdenhausen (2007-)
1901年バイエルン王よりFürstに叙される

・Erbach-Fürstenau
HlllH Raimund Graf zu Erbach-Fürstenau (1988-)
リヒテンシュタイン侯女イザベラ・マリア殿下の夫君

・Erbach-Erbach
HlllH Franz Graf zu Erbach-Erbach (1952-)

・Erbach-Schönberg
HSH Dietrich Fürst und Graf zu Erbach-Schönberg (1998-)
1903年ヘッセン大公よりFürstに叙される

・Fugger von Kirchberg
1968年断絶

・Fugger von Glött
1981年断絶
1913年バイエルン王よりFürstに叙される

・Fugger von Kirchheim
1878年断絶

・Fugger von Nordendorf
断絶?

・Giech
1938年断絶

・Harrach zu Rohrau und Thannhausen
HlllH Ernst Leonhard Graf von Harrach zu Rohrau und Thannhausen (1971-)

・Ysenburg-Philippseich
1920年断絶

・Ysenburg und Büdingen in Büdingen
HSH Wolfgang-Ernst Fürst zu Ysenburg und Büdingen (1990-)
1840年ヘッセン大公よりFürstに叙される
父のOtto FriedrichはYsenburg und Büdingen in Wächtersbach家からの養子

・Ysenburg und Büdingen in Meerholz
1929年断絶

・Königsegg-Aulendorf
HlllH Johannes Graf zu Königsegg-Aulendorf (1951-)

・Kuefstein
HlllH Karl Ferdinand Graf von Kuefstein (1958-)

・Leiningen-Billigheim
1925年断絶

・Leiningen-Neudenau
1901年断絶

・Leiningen-Alt-Westerburg
1929年断絶

・Leiningen-Neu-Westerburg
断絶?

・Löwenstein-Wertheim-Freudenberg
HSH Alfred-Ernst Fürst zu Löwenstein-Wertheim-Freudenberg (1980-)
1812年バイエルン王よりFürstに叙される

・Neipperg
HlllH Josef Hubert Graf von Neipperg (1947-)
オーストリア金羊毛騎士

・Ortenburg
HlllH Heinrich Graf zu Ortenburg (2007-)

・Pappenheim
HlllH Albert Graf zu Pappenheim (1995-)

・Platen Hallermund
HlllH Erik Graf von Platen Hallermund (1983-)

・Pückler und Limpurg
1963年断絶

・Quadt
HSH Paul Fürst von Quadt zu Wykradt und Isny (1942-)
1901年バイエルン王よりFürstに叙される

・Rechberg
HlllH Albert Graf von Rechberg und Rothenlöwen zu Hohenrechberg (1967-)

・Rechteren-Limpurg
HlllH Adolph Graf von Rechteren-Limpurg (1992-)

・Salm-Horstmar
HSH Philipp Otto Fürst zu Salm-Horstmar (1996-)
1816年プロイセン王よりFürstに叙される
元々の爵位はWild- und Rheingraf

・Schaesberg
HlllH Johannes Graf von Schaesberg (1996-)

・Schlitz genannt von Görtz
HlllH Rüdiger Graf von Schlitz genannt von Görtz (1977-)

・Schönborn-Buchheim
HlllH Friedrich Karl Graf von Schönborn-Buchheim (1989-)

・Schönborn-Wiesentheid
HlllH Filipp Graf von Schönborn-Wiesentheid (2004-)

・Schönburg-Hinterglauchau
1900年断絶

・Schönburg-Rochsburg
断絶?

・Schönburg-Wechselburg
断絶?

・Solms-Rödelheim und Assenheim
HlllH Philipp Graf zu Solms-Rödelheim und Assenheim (1981-)

・Solms-Laubach
HlllH Karl Graf zu Solms-Laubach (1973-)

・Solms-Wildenfels
HlllH Friedrich Magnus Graf zu Solms-Wildenfels (1945-)

・Solms-Baruth?
HSH Friedrich Fürst zu Solms-Baruth (2006-)
1888年プロイセン王よりFürst に叙される

・Stadion-Thannhausen
1908年断絶

・Stadion-Warthausen
1906年断絶

・Sternberg-Manderscheid
1830年断絶

・Stolberg-Wernigerode
HSH Philipp Fürst zu Stolberg-Wernigerode (2001?-)
1890年プロイセン王よりFürst に叙される

・Stolberg-Stolberg
HSH Jost-Christian Fürst und Graf zu Stolberg (1972-)
1893年プロイセン王よりFürst に叙される

・Stolberg-Roßla
1982年断絶
1893年プロイセン王よりFürst に叙される

・Toerring-Jettenbach
HlllH Hans Veit Graf zu Toerring-Jettenbach (1967-)

・Waldbott von Bassenheim
HlllH Carl Ludwig Graf von Waldbott von Bassenheim(1939-)

・Waldeck und Pyrmont
1938年?断絶

・Wallmoden-Gimborn
1883年断絶

・Wurmbrand-Stuppach
HlllH Ernst Gundaccar Graf von Wurmbrand-Stuppach (1965-)
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Comment

 

私もドイツ・オーストリア系貴族について調べていた時期があり勉強になりました。ドイツは神聖ローマ帝国系統の帝国諸侯とプロイセン、バイエルンなど各王国系統の諸侯と2種類あるので複雑ですね。日本では幕府の旗本御家人と諸大名の陪臣のようなものでしょうか。ホーエンゾレルン家のドイツ第二帝国時代に連邦を構成する君主権を有した国王・大公・公爵・侯爵の特集もよろしくお願いします。

帝国貴族 

ツシマ様

仰る通り、神聖ローマ帝国における貴族には、皇帝直属の帝国諸侯や帝国騎士、領邦君主に従う領邦貴族などがあります。(ドイツ語がわからないので微妙ですが、調べてみると例外が星の数ほどあって、面白いやら頭がこんがらがるやらです)私も最初に江戸幕府の直臣と陪臣を連想しました。

実はこれらの記事は、昔わからなくて調べたことを、最近更新が少なくなってきたのを誤魔化すために・・・(中途省略)・・・ということで、ドイツ帝国内の君主国は申し訳ありませんが難しいです(苦笑)
  • posted by 西京子 
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  • 2008.11/17 13:24分 
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公爵でもザクセン‐コーブルグ‐ゴータのように独立公国の君主と王国や大公国の家臣としての公爵、侯爵でも独立君主がいたりして、ドイツ第二帝国だけでもけっこう複雑な国家体系ですね。頭痛がします。バイエルン王国など日本に独自の公使館があったとか・・・。間違っていたら謝ります。勲章も帝国加盟国ごとに多数制定され、明治・大正天皇も以前の西京子さまの記事によるとかなりドイツ第二帝国加盟各国の勲章を受章されておられるようですね。西京子さんにはドイツの勲章特集もお願いいたします。またフランス公爵家編の次はイタリアやロシア、オーストリア、スペインもよろしくお願いいたします。

欧州諸国の公爵位 

ツシマ様

ウェストファリア条約様々ということで(笑)

バイエルン王国独自の公使館については、知りませんでした。私も機会があれば調べてみます。

海外の勲章は名前以外全く知らないので、記事を書くのは無理です。申し訳ありません。

フランス以外の国もですか・・・。Dukeのみならロシアもオーストリアもすぐに書けるのですが(笑)

イタリア:統一イタリア王国以前の歴史のせいでカオスな状況です。日本でも知られている家も多いので、楽しいといえば楽しいんですけどね。

ロシア:どの程度の家が現存しているのかよく知りません。断絶した家も含めた場合、洒落にならない数になりそうです。リューリク系、モンゴル系、グルジア系だけでもそれぞれ百家以上になるんではないでしょうか?もっともピョートル大帝以降に勲功により叙爵された家に限れば・・・。

オーストリア:五十前後?くらいで手頃な数だとは思うのですが、Standesherrliche Häuserがかなりの数を占めるので、このあいだの記事とかぶる部分が多くなります。

スペイン:無謀です(苦笑)百五十前後も公爵位が現存していて、女系相続可及び貴族同士の結婚の相乗効果で、集合離散を繰り返し、アルバ女公爵のように何十もの爵位を保持されている方も多く、下位爵位の一定の恣意的相続が認められているとなれば、近づかないのが吉かと(オイ)絶対長幼制の導入でさらに(以下省略)

少し対象がずれてますが、メモ書きの中に使えそうなものが、なきにしもあらずです。あと二枠、あるにはあるので・・・う~ん。
  • posted by 西京子 
  • URL 
  • 2008.11/27 02:43分 
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勉強になりました。スペインは150家も公爵家があるんですか・・・。ということは男爵まで含めるとスペインの爵位は一体幾つあるんでしょうか?。ロシアではニコライ2世がイリーナ大公女とユスーポフ公の結婚を認可したのはユスーポフ公爵がカザン汗国王室の末裔であり元来ロマノフ家と対等の家格で貴賤結婚にはならないという判断があったからと読んだことがありますが。モンゴル系のユスーポフ家はさしずめ戦前の李王家のような存在だったんですかね。ロシア帝国のモンゴル系貴族など調べたら面白いでしょうね。それにしても清朝の満州八旗、蒙古八旗、漢人八旗のうち公爵級の家系のほうが数は少ないでしょうか。いずれにしても続編を楽しみにしております。

東西の公爵 

ツシマ様

一つの家で複数の爵位を有している場合も多いので、公爵「家」の数はそれより少なくなるようです。

ユスポフ公爵家はジョチの子孫ではなく、ノガイ・オルダのエミールの家系なので、王室の末裔で・・・いいのか迷うところです。ユスポフ公爵フェリックスも本来のユスポフ家の女系子孫(男系ではロシア人の伯爵家出身)なので、モンゴル人でいいのか、個人的には結構疑問があります。
李王家的な立場と言えば、バグラチオン家ではないでしょうか。最後のグルジア国王ゲオルギー12世の直系男系子孫のグルジンスキー公爵家をはじめ幾つかの有力家系もSerene Highnessの敬称を授与されています。

清史稿をパラパラ読んでいると、授爵(というより封爵?)に関する記述も見かけるのですが、何分、通読したことがないので(恥)数はわかりません。
  • posted by 西京子 
  • URL 
  • 2008.12/01 00:52分 
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西京子様のドイツ公爵家特集をきっかけに思い出したのですが、ナショナルジオグラフィックチャンネル?かディスカバリーチャンネルだかでマレーシア国王の戴冠式特集番組をやってました。マレーシアは9人のサルタンの中から互選で任期5年の国王を選出するという、世界唯一の選挙王政国家なのですね。まるでハプスブルグ以前の神聖ローマ帝国のような国です。いかに立憲君主制度で国王皇帝がお飾りであっても、王族皇族を国民道徳の生きた規範のような存在と看做すのならば、偶然に長男に生まれついた皇太子が何の苦労もせずに即位するのと違って、マレーシアのような選挙王制も有徳の王族が国民の上に立つという緊張感を醸成する上でいい方法かもしれませんね。もっとも日本で採用するには宮家の数が足りませんが・・・。
  • posted by ツシマ 
  • URL 
  • 2008.12/14 02:07分 
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マレーシア国王 

ツシマ様

マレーシア国王の戴冠式特集番組ですか。面白そうですね。日本のテレビ局でもそういう方面に力を入れていくれるところがあっても良いかもしれません。仰る通り、マレーシアは各州スルタンの互選により国王を選出する仕組みになっています。尤も事実上の輪番制で順番も決まっているようですが、近代国家である以上は、混乱をもたらさないための賢明な措置だと思います。
  • posted by 西京子 
  • URL 
  • 2008.12/19 00:48分 
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