西京子の備忘録

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訃報 一柳末幸氏卒去(元子爵)

一柳末幸氏が二日卒去されました。
享年90歳。

一柳末幸氏は、小野藩知事や貴族院議員を務めた一柳末徳子爵の男、一柳剛氏の男。
大正十一年、祖父末徳子の薨去により襲爵されました。
陸軍主計中尉、日本火災海上保険常務などを歴任されました。

継嗣は養子、邦久さん。

謹んでご冥福をお祈りいたします。
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Comment

一柳氏 

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

NHKの女性アナウンサーに一柳亜矢子がいて、この越智氏河野氏庶流の一柳氏の末かと思ったんですが、このアナウンサーさんは「いちやなぎ」と読ませんですね。

近世の山内家のように本家とそのほかの分家庶家で読み方を変えていたのか、それとも全く関係ないのか(たぶん後者でしょうが)。
2009年もいろいろ興味は尽きません。
  • posted by dzlfox 
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  • 2009.01/08 09:26分 
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読み方 

dzlfox様

こちらこそ今年も宜しくお願いします。

「ひとつやなぎ」も「いちやなぎ」も近縁関係ではないにしても、遠祖を辿れば同じような起源かもしれません。

読みを変えると言えば、武者小路実篤が分家した際に、「むしゃのこうじ」から「むしゃこうじ」に変更した話が思い浮かびます。
  • posted by 西京子 
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  • 2009.01/09 05:15分 
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一柳氏 

戦国末期、美濃国最後の守護土岐頼芸(よりのり)に対し、河野宣高、通方(子孫美濃根尾在)兄弟は先祖より使用していた姓「一柳:いちやなぎ」(土岐家内では私称)への改姓願いをしていたが、頼芸より許可されるも読みについて、兄宣高は「ひとつやなぎ」、弟通方は「いちりゅう」とするよう命令されたらしい。頼芸は「一柳:いちやなぎ」への改姓に何故か難を示している。一族の大部分の読みは「いちやなぎ」です。由来は尾張国一柳(いちやなぎ)の地名から。

 

一柳道登司さま。
(誠に失礼ながら、ご一族の方でしょうか?)
ご教示ありがとうございます。
なんだかんだと言って土岐氏の権威のほどがわかって面白いですね。
  • posted by dzlfox 
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  • 2009.10/21 11:15分 
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一柳姓 

一柳 道登司様

お返事が遅れて申し訳ありません。

頼芸朝臣がどうして兄弟で読みをわけたのか、気になりますね。「いちりゅう」の読みは初めて聞きました。現代でもそう読み慣わす方はいらっしゃるのでしょうか?
  • posted by 西京子 
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  • 2009.10/31 05:51分 
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ひとつやなぎ 

こんばんは。はじめまして。
私の姓は一柳(ひとつやなぎ)です。先祖は幕末には東北の小藩の足軽でしたので、大名家とは関係無さそうですが…家紋だけは同じなんですけど。
土岐氏に仕えていた兄弟の子孫は「ひとつやなぎ」「いちりゅう」で、それ以外の一族はそのまま「いちやなぎ」と名乗り続けた、ということなのでしょうか。もしかしたら自分の祖先にかかわることかもしれませんので、とても興味深いです。

たまたまこの記事を発見しましたのでコメントさせていただきました。失礼いたしました。
  • posted by  
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  • 2009.11/11 20:46分 
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由来 

一柳様

残念ながら私は一柳氏について詳しいわけではありませんが、大名家の一柳家は「ひとつやなぎ」と読み慣わしています。士族の御家系ということは、もしかしたら藩士の系譜集などに家系の由来が記されているかもしれません。
  • posted by 西京子 
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  • 2009.11/15 04:50分 
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一柳氏について 

「いちりゅう」の読みは初めて聞きました。現代でもそう読み慣わす方はいらっしゃるのでしょうか?
2009-10-31 投稿者 : 西 京子様
 にお答えします。岐阜県揖斐郡揖斐川町根尾(旧根尾村)には、織田信長から根尾代官に任命された一柳通方公の子孫で今でも5軒ほど(電話帳から)の一柳(いちりゅう)さんが住んでおられます。
 岐阜市内にも15軒ほど(電話帳から)の一柳さんがいますがほとんどの方の読みは「いちやなぎ」です。
 また、岐阜県関市富之保(旧武儀郡武儀町富之保)には室町時代の一柳通定公以来一柳氏の城館がありました。江戸時代初め一柳(ひとつやなぎ)直盛公が四国へ国替えとなり、その地を手放す際、その地に「一柳:いちやなぎ」の地名を残しており、今でも一柳(いちやなぎ)城と一柳(いちやなぎ)の地名があります。
 一柳直盛公周辺はは自分達の姓の本当の読みは「いちやなぎ」であると思っていたと考えられます。
 なお、家紋は大名家の「ひとつやなぎ」さんも、私「いちやなぎ」も釘抜き紋です。

 前回にも申しましたが、一柳姓の由来は尾張国の伊勢神宮御領地一柳(いちやなぎ)御厨(みくりや)の地に住んでいたことによると思っております。
 これからは想像の世界となりますが、元は室町時代美濃国で河野氏として守護土岐氏に任えていましたが、三代目守護土岐頼康が美濃、尾張、伊勢三国の大守護に大発展した際、尾張一柳に住むよう命ぜられました。役目は伊勢湾と三河湾西部における土岐水軍の構築(既存水軍の再編成)です。これは河野氏ならではの得意分野です。
 私、一柳道登司は、岐阜県羽島郡岐南町に住んでおりまして、中世美濃、尾張における土岐氏、河野氏、一柳氏について調べています。皆様の情報の提供をお待ちします。

一柳御厨 

一柳 道登司様

お返事が遅れて申し訳ありません。

成る程、現在も「いちりゅう」さんがおられるのですね。

一柳御厨と水軍に関する推論は、土岐氏の盛衰とも関わってなかなか興味深いです。何故、河野氏の一流がどうして、美濃に移ったのかも気になります。
  • posted by 西京子 
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  • 2009.12/25 22:50分 
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美濃国と河野氏(一柳氏) 

 西 京子様へ
「何故、河野氏の一流がどうして、美濃に移ったのかも気になります。」 にお答えします。中々に鋭い指摘ですね。
 まず、源平合戦後伊予河野氏は報奨として美濃国・尾張国の河川(水郷)地帯を領地として得て、一部が住み着きます。(現在、愛知県江南市の木曽川沿いに河野の地名有り)しかし承久の変にて宮方に味方し領地を失い没落します。その後は当地に庶民(国人)として根付き再び復興する機会を待っていました。南北朝時代、南朝北畠親房が伊勢大湊(現:伊勢市宮川河口)を中心に東北から瀬戸内、九州までに水師網を作り北朝に対抗しましたが、当然美濃国・尾張国の水郷地帯の河野氏も南朝です。そのため、北朝の土岐氏は美濃国の守護となっても美濃平野の東端にしか守護館を置けていない。河川地帯を実行支配できない状況でした。
 鎌倉時代土岐氏は美濃国土岐郡以外に伊予国久万にも領地をもっており、常に当主の嫡男を置いていました。足利尊氏が九州から京へ攻め上る時、伊予国久万にいた嫡男土岐頼清とその子頼康は当主土岐頼貞がいる足利軍に合流しましたが、その際伊予国にて人集めをしています。その頃伊予国は河野氏本流の河野通盛が鎌倉幕府に最後まで臣従し、幕府滅亡後は僧になってしまったため、分家同士が本流争いをし、大混乱の状況にありました。本流の一部が前途を悲観し伊予国から出て他家に被官した者がいたようです。こうして鎌倉時代の初めと室町時代の初めに河野氏が美濃へ来ています。なお、土岐氏三代目守護の頼康は美濃と尾張の二ケ国の守護になった後、美濃平野の中心(河川地帯)の革手に守護館を構えています。これはまた想像ですが、頼康と新参河野氏が旧来河野氏を説得、懐柔して南朝から切り離し、土岐氏に臣従させたと思っています。なお頼康はその後、同じ北朝仲間の伊勢国の守護仁木氏を南朝へ追いやり、伊勢国を陸路と海路の両面で攻め取っています。最後に私(一柳道登司)は一柳氏は新参河野氏であり土岐水軍の総責任者であったと思っています。

No title 

日本の歴史を眺めていますと、何回か、有力氏族の一部が本貫?から離されたり、離れたりする契機となるイベントがありますよね。
(源平、南北朝、元寇、織豊~関ヶ原、などなど)
そういった観点から歴史(含、局所的なもの)を見ていくのが結構好きです。
本年もよろしくお願いします。
  • posted by dzlfox 
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  • 2010.01/18 14:47分 
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二つの河野氏 

一柳 道登司様

お返事が遅れて申し訳ありません。

土岐氏が伊予にも所領を有していたことは知りませんでした。同じく河野氏も両地方に所領があったことはまさに奇縁ですね。守護の土岐氏が勢力を拡大していく様がかいま見られて興味深いです。新参河野氏は一柳氏となったとすると、旧来河野氏は一体どうなったのか気になります。
  • posted by 西京子 
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  • 2010.02/17 16:22分 
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西遷・濃尾 

dzlfox様

駄目駄目で申し訳ありません(滝汗)
今年も宜しくお願いします。

個人的には、鎌倉の西遷御家人と織豊後期・江戸初期の転封に興味があります。前者は戦国期の国人の起源になっていることが多く、数百年かけて台頭してくるというのが、息が長い話で、興味ひかれるところです。後者は全国の大名の殆どが、尾張・三河・美濃・近江辺りの出身者という面から考えると、織豊政権・江戸幕府の見方が変わってくるので面白いところです。
  • posted by 西京子 
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  • 2010.02/17 17:26分 
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  • 2012.03/27 15:09分 
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  • 2012.07/10 23:58分 
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  • 2013.07/27 05:12分 
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    ・同20日は彬子女王殿下の25歳の御誕生日です。
    ・同29日は佳子内親王殿下の12歳の御誕生日です。

    ・今年も早いもので十二月になりました。皆さま、ご多忙の時期とは思いますが、無理をなさりませんよう。
    ・最近はテレビを視聴していないので、今期は殆どついて行けてません(謎)

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