西京子の備忘録

朝ご飯の内容から夕ご飯の内容まで、徒然なるままに

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如月四日の出来事

・大村泰敏氏が昨年三月、卒去。元子爵。謹んでご冥福をお祈りいたします。

・たま卿に対してわかやまでナイトとなったことを記念して、和歌山電鉄より紺色のベルベットの特製マントと駅長帽に添えるダチョウの羽根が授与された由。

・『文藝春秋』二月号に昨年、文化勲章を受章されたドナルド・キーン氏の勲章に関する随筆が載せられていました。勲章を銀行に預ける際のキーン氏の一喜一憂が可愛らしい(というと失礼か)明治天皇がガーター勲章を贈呈されることに大いに難色を示されたエピソードにも触れられています。

・François de Noailles, Duc de Noaillesが一月十一日死去。享年103歳。9代公爵。継嗣は、長男のHélie de Noailles。謹んでご冥福をお祈りいたします。
※「現存フランス第一王政下公爵位(peerage限定)便覧」も併せてご覧ください。

・本屋にて逢坂浩司氏の追悼画集『逢坂浩司イラスト&ワークス』を発見。どうして買わず去れようか、いや出来ない。ということで購入しました。ヒヲウの続編をぜひ作って頂きたかった・・・。炎はまた舞わねばいかんのですよ。

・佐竹敬久秋田市長が四月投開票の秋田県知事選に立候補の意向とのこと。捲土重来!

参考サイト
ttp://pages.prodigy.net/ptheroff/
この場を利用して、同サイトに感謝申し上げます。
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Comment

佐竹さんに関する質問 

↑の人は佐竹北家ですが、宗家について

佐竹氏といえば源氏の名門として有名ですが
(その割には時々の源氏の棟梁に喧嘩売って痛い目に会っているイメージもありますが)
室町時代の佐竹義人は関東管領上杉憲定の実子で佐竹家に養子に入っていますよね。
婿養子という記述も見かけますが、婿養子であっても改姓しないと変わりませんよね...?
というと、本当のところは藤氏北家なんでしょうか?
このころには姓氏制度がぐちゃぐちゃになっていた、ということもあり得ますが、上記義人の継承に伴う佐竹諸流山入氏の反乱は、この姓の変更への反発も理由だったような気がします。

実際のところ、当時の事情はどうだったんでしょう?
改姓の手続きかなんかをしたんでしょうか?

当代に関しては、江戸時代に相馬氏から養子に来ておられる当代の方がいますが、この人も元をただせば佐竹からいった人の子孫が戻ってきただけなので、その時は姓は変わっていないものと、とらえています。

よろしくお願いします。
  • posted by dzlfox 
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  • 2009.02/04 11:39分 
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補足 

ご当代に関する情報が古かったようで、少し調べてみましたら、今の佐竹孝氏は大給松平家の大給義竜氏からの養子なんですね...。
それで大給義竜→尾張徳川義親→松平慶永→徳川(田安)斉匡→徳川(一橋)治済→徳川(一橋)宗尹→徳川吉宗 (敬称略)
とさかのぼっていけますね。

ということは当代は「一応」清和源氏となりますね。
うーん、うーん、うーん、通字が途切れたことと併せてなんかもったいない気が…(苦笑)
  • posted by dzlfox 
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  • 2009.02/04 12:00分 
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佐竹氏 

dzlfox様

律令時代は改姓に関する手続きもありましたが、中世になると有名無実になります。養子となればその時点で、氏姓と名字が変わるケースが殆どです。公的もしくは当時の一般的な慣習としての改姓儀式は存在していません。
佐竹義人の場合も、養子縁組が成立した時点で、藤原朝臣・上杉から源朝臣・佐竹への改姓が行われている、もしくはそう認識されていたはずです。
山入氏の反乱は、佐竹氏の有力庶家である同氏が宗家の家督を継げなかったことによるもので、同姓でも他姓でも起こった可能性は高いと思います。
(実際には京鎌倉の関係・当時頻発した宗家・庶家の争いなどが複雑に絡み合っているのでしょうが)
上杉憲政が長尾景虎を養子とする以前に、縁ある佐竹義昭に対して同様の申し出をしたが、新羅三郎義光以来の由緒を理由にして断られたと言われています。この辺りの逸話から当時の姓氏に関する認識をうかがい知ることが出来るはずです。

先代義栄侯爵の曾々祖父の義尭侯爵は元々は中村藩主相馬益胤の三男として相馬(平朝臣)宗胤で、久保田新田藩主佐竹義純の末期養子となった時点で、佐竹(源朝臣)義核となっています。
  • posted by 西京子 
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  • 2009.02/05 01:52分 
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ご当代 

dzlfox様

仰る通り、ご当代は大給義龍元伯爵の次男で、故義栄侯爵の百合子夫人の甥且つ養子です。

通字ですか。通字、う~む、通字(謎)
  • posted by 西京子 
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  • 2009.02/05 03:35分 
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キーン氏文化勲章受章おめでとうございます。結局エドワード7世もガーター授与に消極的、明治帝も受章に本心では消極的だったということですね。おまけにキーン氏の明治天皇伝によるとガーター使節団長の英国王子が大帝の右足にガーターを巻くときに、誤って留め金で王子自身の指を突いてケガをした不始末にまで触れられておりました。そして明治大帝が式典直後に侍従に血染めのガーターベルトを見せてお笑い遊ばされたというオチがついておりました。血染めのガーターベルトを授与されたのはガーター騎士団史上、明治大帝ぐらいしかいらっしゃらないでしょう。伝記には血の付いていないガーターベルトと交換されたとは書いていませんから、大帝はいかに本番でドジを踏んだとはいえ、世界を半周してガーター勲章を極東まではるばる贈呈しに来てくれた王子に遠慮されたのかもしれません。周囲への御配慮を怠らなかった大帝のお人柄が偲ばれます
  • posted by ツシマ 
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  • 2009.02/06 22:24分 
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佐竹氏 

西京子様。ご説明ありがとうございます。

なるほど、当時はすでに改姓の手続き云々という時代ではなくなっていたとみるべきなのですね。

>新羅三郎義光以来の由緒云々
これに関して、父系の「姓」としての由緒よりも、「家」にまつわる由緒になってきているような気がします。
  • posted by dzlfox 
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  • 2009.02/12 14:55分 
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ガーター 

ツシマ様

お返事遅れまして、申し訳有りません。

キーン氏の叙勲は大変おめでたいことですね。私の中ではキーン氏は癒し系なイメージなので(笑)ほのぼの読ませて頂きました。

仰る通り、血染めのガーターを贈呈されたのは、明治天皇御一方かもしれませんね。御遺徳が偲ばれます。
  • posted by 西京子 
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  • 2009.02/18 01:44分 
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家 

dzlfox様

何時からか、ということははっきりと言えませんが、摂関期には萌芽が見えるような気もします。源師房の逸話や藤原嫄子の例などが挙げられそうですが、宇治殿に関係する人物が多いのも興味深いところです。

仰る通りでして、私も書いていて微妙にはぐらかしているのですが(苦笑)、新羅三郎義光以来・・・の逸話は、家の由緒に近い気もします。家の存続に主眼が置かれていると言いましょうか。強いて言えば、源朝臣であるところの佐竹家となるのかもしれません。
  • posted by 西京子 
  • URL 
  • 2009.02/18 03:01分 
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  • posted by  
  •  
  • 2013.12/15 10:56分 
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  • Author:西京子
  • ・今月23日は天皇陛下の73歳の御誕生日です。
    ・同1日は愛子内親王殿下の5歳の御誕生日です。
    ・同2日は崇仁親王殿下の91歳の御誕生日です。
    ・同9日は皇太子妃殿下の43歳の御誕生日です。
    ・同20日は彬子女王殿下の25歳の御誕生日です。
    ・同29日は佳子内親王殿下の12歳の御誕生日です。

    ・今年も早いもので十二月になりました。皆さま、ご多忙の時期とは思いますが、無理をなさりませんよう。
    ・最近はテレビを視聴していないので、今期は殆どついて行けてません(謎)

    ・現在、更新が遅れています。大変申し訳ありません。

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